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 *当ブログの記事・写真の無断転載を禁じます。 写真提供:吉田玉助


気配の芸「日高川入相花王」その4
「けはひ」という、言葉がある。
「気配」という字を、当てる。
「何となく感じられる様子」と、広辞苑にはある。
「日高川入相花王<ひだかがわいりあいざくら>」を観て、
この気配という言葉がよぎった。

上手と下手に分かれて、
清姫と船頭がやりとりをするその芸は、
気配を感じる力が必要なのか。
もちろん、感じなければならないのは、
相手の気配のことであり、
その気配を敏感に感じ、
その気配の意味を瞬時に解し、
間をおかず、すぐさま気配を返す。
その芸が、人形遣いには必須の才なのか。

人形遣いの視線は、常に客席にあり、
しかも、全ての感覚、神経、
そして、筋肉は、
己が人形に注がなければならないとしたら、
相手の動きは、気配を感じる以外にないのではないか。
もしそうであるのなら、
人形遣いは、
人形そのものを遣う芸と、
左遣い、足遣いを遣う芸と、
そして、気配を遣う芸の
3つの才を習得鍛錬しなければならないのか。
大変なことではないか。

「気配を遣う」とは。

観客は、清姫が演じているときは、
その視線を、下手に集中する。
清姫は、しかし、上手の船頭を相手に演じている。
船頭は、そのとき、
不動となり、無となる。
それは、動に対して静であり、
静でありながら、その存在感は示さなければならない。
清姫への観客の視線をさえぎらず、
清姫の演技の対象としてある船頭の存在を、
無意識に感じてもらわなければならない。
即ち、静そのものではなく、静の内なる動であり、
即ち、気配。
気配を遣うとは、難しい芸ではないか。
それとも、性根を入れて人形を遣うことよりも、
格段に優しいことなのだろうか?
そうではあるまい、
吉田玉男師の菅丞相はひとつの極点ではなかったか。

寿々女

kousuke-kuroko
↑舞台をあがって、楽屋に向かう幸助さん



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テーマ:文楽 - ジャンル:アイドル・芸能

[2010/02/04 15:17] | すずめがちゅんちゅん | トラックバック(0) | page top
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